「叱るのと怒るのは違う」という主張は責める側の自己満足

「叱るのと怒るのは違う」という主張は責める側の自己満足

「叱るのと怒るのは全然違うんだ」こんなことを主張する人間は大勢います。

そして、仕事でこの主張をするのは部下や後輩を怒る側の人間です。

「叱る」のは相手の成長を促す為の良い行為、「怒る」のはただ感情に任せて怒鳴る悪い行為なんて風潮があります。

しかし、これは責める側に都合の良い解釈であり、責められる側にとってはほとんど変わりません。

今回は、「叱るのと怒るのは違う」なんて主張は先輩や上司などの責める側の人間の自己満足である理由を解説します。


「叱ると怒るは違う」はただの自己満足である理由

そもそも「叱る」のも「怒る」のも、相手のミスや失敗を咎める行為である点は同じです。

相手の成長の為の行為か、自分のイライラを発散させる行為かで叱ると怒るを区別しようとする人間が多いですが、そのほとんどは「怒る」ことしか出来ていません。

「自分は怒っていない、叱っているんだ」などと言うかもしれません。

しかし、それはあくまで受け取る側、叱られている側が判断することであり、叱る側の人間が言うことではありません。

ここでは叱る・怒るの違いなんてものは責める側の自己満足である理由を詳しく解説します。


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大抵怒ることしかできない

叱るのと怒るのを区別しようとする人間のほとんどは「怒る」ことしか出来ていません。

「いやいや俺は相手の為に叱っている」なんてのも、大抵は自分がそう思い込んでいるだけであり、相手からすると感情的に怒られているように見えるかもしれません。

結局は相手がどう感じるか次第です。

「自分は叱ることが出来ている」と考えること自体、自分本位になっていて相手がどう感じているか考えられていない証拠です。


パワハラを隠しているだけ

「叱るのと怒るのは全然違う」「これは怒っているんじゃなくてお前の為を思って叱っているんだ」こんな事を叱る側が言うのであれば、それは自分の行為に後ろめたさを感じているということです。

怒られている側が「自分の為にやってくれているんだ」と考えるよう洗脳しようとしているとも言えます。

自分から「お前の為にやっている」なんて言葉を敢えていうのは自分の行為がパワハラだと言う自覚があり、それが問題になるのを防ぎたいという意思の表れでもあります。


感情を排除するのは不可能

怒りの感情が混じる指導は「叱る」ではなく「怒る」に該当するのであれば、叱ることの出来る人間は存在しません。

部下に対して100%相手の為を思って指導していると自信を持って言える人はそうそういないでしょう。

そこに必ず感情が混ざります。

人間である以上、自分の感情を完全に排除して人と関わることは不可能です。

部下のミスを指摘する際、確かに成長させたいという思いもあるとは思います。

しかし、少なからずそのミスに対しての怒りを感じるでしょうし、それを全く態度に出さないのは無理があります。

自分はそれが出来ているつもりでも、相手は「この人怒っているな」と感じ取るものです。


最後に

今回は、「怒るのと叱るのは違う」なんて主張は責める側の自己満足、都合の良い言い訳である理由を解説しました。

そもそも、これを自分の中で考えているだけならいいですが、言葉に出したり相手に伝える事自体、何かしら後ろめたいことがあるということです。

また、「自分は怒るのではなく叱ることが出来ている」なんて考えている人もいますが、 それは自分が思い込んでいるだけであり、相手からすると怒られているようにしか感じません。

結局は自分のパワハラに近い行為を誤魔化すために区別しようとしているだけだと言えます。